■フタバの歴史・第6話

■フタバの歴史・第6話 (2004年07月27日の日記より)

 昭和62年といえばバブルの絶頂期。土地は急速に値上がりし株価は急上昇していた頃だ。『地上げ』なんて言葉が流行った頃。

 不動産屋さんに探してもらったのが今の本部校となっているこの場所。外観、広さから言って申し分なかった。売値も5500万円としっかり値がついていた。

 『買います。』と不動産屋さんに返事をすると『5700万円なら売ると言っています。』それでも買うというと今度は『5900万円なら売ると言っています。』と言ってくる。最終的に6000万円で買った。資金は父からの借入金と銀行からの借入金。

 手付も1000万円払った。しかしそれから4ヶ月以上いっこうに明渡さない。お金は貰ったが売りたくない。手付倍返しだから売らないとは言えない。そんな感じのた対応だった。痺れを切らした方の負けになる。やっと2月の最初に出て行ってくれた。

 この頃はだいたい180名くらいの塾生数だったと記憶している。順調に滑り出した。マイクロバス26人乗りをS63年、H1年に入れ生徒は増えつづけ200名を越えていた。順調だったが…とんでもない事故に僕が巻き込まれた。

平成1年8月5日僕は救急車で国立東静病院に担ぎ込まれた。250ccのオートバイで対抗の右折車に激突したのだ…

空を舞い、アスファルトに叩き付けられた…

 一瞬のうちの出来事だけど、全て鮮明に記憶に焼きついている。『馬鹿!ぶつかっちまう!なぜそこで止まるんだぁ!』と思った。ぶつかった瞬間の空を舞う感覚、焼けついた真夏のアスファルトの暑さ…『俺は死ぬのか…』と思った記憶…

キリで腰を突き上げられるような激痛…ギャーー!!という断末魔の叫び声を何回あげたか…


      診断は全治…続きます。



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